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「あまおうのビール」。この言葉が持つ音の響きのかわいらしさに惹かれたのが、興味を持ったきっかけだった。普段ビールを飲まないわたしでさえ、どんな味だろう? と好奇心が掻き立てられる。
冷蔵庫で冷やしたビールをグラスに注ぎ、口を近づけると、ほのかにいちごの香りがした。もっと香りを確かめたい、だけど早く飲んで味が知りたい。一瞬迷ったが、未体験の誘惑に負けてひと口で飲み干すと、心地よい苦みの後、スッキリとした後味が広がった。まさに、ビールだ。
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もう一度呼吸を整え、グラスに顔を近づけてスーッと香りを吸い込む。爽やかな苦みのあるホップに、いちごのアロマがふわぁと香る。
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しばらくすると、同封されていた手紙に気付いた。文面を目で追っていくと「キンキンに冷えた状態よりも少し置いてから飲むと香りが広がり、より一層お楽しみいただけます」と記されている。そこでグラスに注いだ後、少し時間を置いて飲んでみた。すると、冷蔵庫から取り出した直後に比べて、いちごの風味が輪郭を帯び出しているのがわかる。今度は香りだけでなく、口に含んだ時もいちごの味わいが伝わってきた。とはいえ、いちごを全面に押し出しているわけではない。あくまで奥ゆかしくそこに存在しているのである。
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4〜5年ほど前のことだっただろうか。飲食店に行くと、いろんな店がこぞってクラフトビールを勧めてきた時期があった。“最近、クラフトビールが流行っているんだな”ぐらいにしか当時は捉えてなかったが、あまおうのビール――正式名称は「あまおうカカオスタウト」――をつくっているビール職人・矢野 恒平さんによると2013年頃からクラフトビールの味のレベルが世界的に向上しておいしくなっていき、2015年になると日本にもクラフトビールのブームが到来したのだという。
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「それまでの日本のクラフトビールは、地方再生のイメージが強くて値段も高いし、あまりおいしくないイメージがあったんです。もちろん、八女ブルワリーのビールの味も含めて」。
矢野さんがビール職人の道を選んだのは、今から12年前のこと。同じ職場で働いていたビールづくりの担当者の退職が決まり、併設のレストランで接客に従事していた矢野さんが後任を引き受けたいと手を挙げたことが始まりだった。
接客の仕事をしていたからこそ、クラフトビールを注文するお客さまの反応がわかる。「当時、ビールのお替わりが出なかったんです。その頃の地ビールって今ほど味のレベルが高くなかったので、“こんなものかな?”と思っていたのですが…」。
八女ブルワリーのビールをもっとおいしくしたい。その想いを胸に独学で勉強をし、ビール酵母の原料を取り扱う会社の担当者に電話でひたすら何度も何度も質問を繰り返した。すると、勉強熱心な矢野さんの姿勢に心動かされ、その担当者は一人のビール職人を紹介する。その人こそ、矢野さんが現在でも半年に一回会いに出かける鹿児島の「城山ブルワリー」で働く倉掛さんだ。
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しかし、倉掛さんを紹介してもらったものの、既に世間の城山ブルワリーに対する認知は高く「ビールづくりを教えてくださいとは図々しくてさすがに言えない」と連絡を取るのを躊躇していた矢野さん。そこに、一本の電話がかかってきた。電話をかけてきた主は、倉掛さん。倉掛さんもずっと一人でビールづくりをしてきたので、矢野さんの苦労を察してのことだった。
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この電話を機に、2〜3ヵ月に一度ほどの割合で助言をもらい、醸造工程の見直しなどの改善を重ねるようになった。また、帰省で福岡を訪れた際、倉掛さんは八女ブルワリーに立ち寄り、アドバイスをしてくれたこともあったそうだ。
「今でもビールのレシピづくりで悩むことがあると、倉掛さんや各地方にいるビール職人に相談をして意見をもらうんです」と話す矢野さんの言葉を聞いて、疑問に思った。
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どうしてみんな、気軽に教えてくれるのだろう? 自分たちが培った知恵や技術を、いわばライバルである同業者に教え合うなんて。この率直な感想を矢野さんに伝えると「クラフトビールをつくっている人たちは業界を盛り上げたいという意識が強いので、困っている同業者がいたら手を差し伸べる助け合いの精神があるんです。醸造を始めたいので見学に行きたいという人たちがいたら、僕も皆さんからしていただいたように包み隠さず見てもらっています」とやさしく応えてくれた。
倉掛さんとの出会いを機に、矢野さんがつくるビールの味わいはメキメキとブラッシュアップしていく。そして自慢のビールへと成長を遂げた!
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八女ブルワリーがある福岡県八女市は、玉露の生産地としては日本一を誇る土地柄で、熊本県の山鹿市や大分県の日田市に隣接する福岡県の南西部に位置するエリアだ。
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矢野さんがつくるレギュラービールは下記の5つ
・八女茶を使用した、爽快で飲みやすい「ピルスナー」
・八女茶の苦みと柑橘系の香りが個性的な「IPA」
・黒糖の風味が効いた濃厚な味わいの「スタウト」
・甘く芳醇な香りが特長の「レッドエール」
・フルーティーで苦みの少ない「ヴァイツェン」
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ビールをおいしくするために、欠かせないのが水。これらのビールと相性の良い水が「杣(そま)の源流水」だそうで、べんがら村から片道1時間ほどの距離にある矢部村の杣の里渓流公園へ毎回汲みに出かけているそうだ。500リットルのビールをつくるには、1000リットルの水が必要。しかし、トラックには500リットルしか載せることができないので、醸造所と公園を2往復し、やっと手に入れた貴重な水を使っている。
日によってはアシスタントがいるものの、八女ブルワリーでビールづくりを行なっているのは矢野さんたった一人だけ。水汲みから麦汁づくり、ろ過作業、瓶詰、発送などほぼ一人で行なっていて、その忙しさは想像を絶する。
願いは、ただただおいしいビールをつくること。実直に働くそんな矢野さんのもとに、昨年面白い企画案件が届いた。八女の特産物を使ったビールをつくろうという話が持ち上がったのだ。
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その第1弾が、2019年10月に発売したシャインマスカット×巨峰の「IPAグレープエール」。
第2弾は、2019年末に発売した早摘みみかんのさわやかな酸味が特長の「シトラスベルギーホワイト」。
そして第3弾が、6月中旬に発売した「あまおうカカオスタウト」だ。
あまおうのビールに関しては、当初福岡市内10店舗の飲食店とべんがら村の敷地内にある新鮮な野菜やフルーツなどが売っている直売所で販売する予定だったが、コロナの影響で急ブレーキがかかりやむなく路線を変更。クラウドファンディングという初の試みを実行してみることに!
すると、ふたを開ければ計128名の申込みがあり、全国にいる注文者へ640本のビールを送り届けることができた!
ビールの企画を手掛ける担当者は「クラウドファンディングはPRの側面からしても一度はやってみたい手法だったのですが、結果的に八女ブルワリーや八女ブルワリーがつくるビール、べんがら村のことを知ってもらう良いきっかけとなりました」と話す。
そして7月20日には、第4弾の白桃のビールが発売された。白ビールをベースに、苦みを抑えた女性向きの味なのだと矢野さんが教えてくれたがどんな味なのだろう? 白桃好きとしては、とても気になる。
いつもの日常に、ちょっとだけスペシャルな演出を。「仕事帰りに一杯」「一日がんばったご褒美に一杯」のイメージがあるビールだけど、矢野さんのつくるフルーツビールはボトルのビジュアルもかわいいオシャレなビールなんだから、せっかくなら特別な日に飲みたい。
そう、例えば暑い夏の休日の昼下がりに、エアコンが効いた部屋で好きな音楽をかけながらビールを片手にのんびりと寛ぐ。合間にチョコレートやフルーツをつまんだら最高だ。きっと、満足度の高い時間を彩ってくれるに違いない。
0943-24-3339
福岡県八女市宮野100番地
ビールは敷地内にある直売所で購入できる他、取寄せもOK!
(レギュラービール1本490円、フルーツビール1本550円)
休/第2・第4月曜(併設のレストランのみ火曜も休)